続きです。
門の名は、竹で編んだ橋が最初に架かっていたことに由来します。 門は、1620年(元和6年)、仙台藩(現在の宮城県) 藩主伊達政宗ほか6名の大名によって築造 されました。 この門は、北の丸の東の出入口にあたり、山王社(現日枝神社)と神田明神 (神田神社)の天下祭りの山車行列は、この門を通過しました。
竹橋門の石垣の多くは撤去されていますが、この門の脇から平川門に通ずる帯曲輪 という通路や漆石垣は良好に残っています。
1952年に創設された日本で最初の国立美術館である当館は、19世紀末から現在に至る日本の近現代美術を中心に収集、保存、調査・研究を行い、展覧会、出版活動、教育普及活動を通して、その価値を世界の人々と共有することを目指します。(東京国立近代美術館「私たちのミッション」より)
竹橋御門跡
旧江戸城内曲輪(うちぐるわ)の1つで、竹橋御門の枡形は元和6年(1620年)に東北の諸大名によって造営されました。
平川濠
平川濠は東に平川門、西に北桔橋門、北に竹橋門の3門に挟まれた江戸城の内濠です。
江戸城・ 平川門に架かる 平川橋を境に西側の内濠(うちぼり)が 平川濠( 平川堀)、東側は大手濠と呼ばれ、水は平川濠から大手濠に向けて流れています。
平川橋
内濠に架かり、一ツ橋一丁目から皇居東御苑に入る平川門前の橋です。初めは1614年に架けられました。現在の橋は昭和63年にかけ替えられました。木の橋で、長さ約30mです。
平川門
江戸城の大手門は正門であるのに対し、この平川門は最も本丸に近い通用門とされ、かつて数多くの大奥の女性達がこの門を通りました。そのため別名「お局門」と呼ばれます。
今回は、此処まで・・・。