天台宗の名刹「浄名院」は寛文6年(1666年)に上野寛永寺36坊の一つとして開かれ、四代将軍徳川家綱公の母・宝樹院の菩提所として栄えました。
旧8月15日の十五夜に行われる、ぜんそく・病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。
1600坪を超える広い境内は、数多くの石地蔵尊で埋め尽くされています。
明治初年神仏分離によって江戸六地蔵六番の寺(永代寺富岡八幡宮の別当寺)が廃寺となり、地蔵尊像も破壊されたので、後にこの「浄名院」境内に江戸六地蔵第六番が再造されました。