GOCHANの日記

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江戸東京野菜「雑司ヶ谷ナス」

雑司ヶ谷霊園を出て、都電荒川線に沿って歩きます。

都電荒川線東京さくらトラム)7706形

↑工事中の壁には、歴代の都電の写真が飾られています

↑都電7700形(H28.5~)

↑都電8900形(H27.9~)

↑踏切を都電が通ります(8500形)

↑踏切を渡って大鳥神社

大鳥神社の立派な鳥居

大鳥神社

雑司が谷のお酉様の大鳥神社。鷺明神と称し正徳二年(1712年)鬼子母神境内に建てられた云われています。当時千登世橋に近く出雲藩下屋敷で藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかった時、鷺明神に祈り治ったので厄病除けの神として尊崇されていたが、明治維新神仏分離に当り現地に移りました。

ランタナ

↑本納寺

本納寺は、寛永5年(1628)実蔵院日相上人が現在の地に三宝諸尊 (さんぼうしょそん)を祀ったことに始まります。日相上人が特にこの地を選んだ理由や動機は明らかではありませんが、寛永年間にちょうど雑司が谷鬼子母神の参詣が流行したことと関わりがあるようです。

↑本納寺のお庭の雑司ヶ谷ナス

↑江戸東京野菜 雑司ヶ谷ナスの説明板

 

「江戸東京野菜」は、江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するとともに、種苗の大半が自給または、近隣の種苗商により確保されていた昭和中期までのいわゆる在来種、または在来の栽培法等に由来する野菜を云います。
雑司ヶ谷ナスの由来:江戸時代、清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地としてナスのほか、ダイコンや青菜などを生産していました。とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやされていました。

 

↑ナスの花がさいています

↑見事なナス

今回は、ここまで・・。