GOCHANの日記

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鬼子母神堂をめざして

鬼子母神堂を目指して、本納寺を出て歩くと、直ぐ見えて来ました。

↑左の神社が、武芳稲荷大明神、正面が鬼子母神

↑武芳稲荷大明神鬼子母神堂の境内にある神社。新旧複数の鳥居をくぐっての参拝。少し幻想的な世界観を醸し出す情景です

↑仁王像

鬼子母神堂には仁王門や山門はありませんので堂に向かう石畳の左右に仁王像が立っています。石造りの仁王像は阿形像と吽形像の丈と幅が同寸と言われています。同寸の仁王像は珍しいそうです。

鬼子母神イチョウ【東京都指定天然記念物】

↑駄菓子屋の上川口屋さん

上川口屋の創業は、看板にも堂々と「創業1781年」と記載されています。1781年というと、フランス革命天明の大飢饉が起きる少し前のころだそうです。

雑司が谷鬼子母神堂は法明寺の飛地境内にあります。永禄4年(1561年)に現在の文京区目白台で掘り出された鬼子母神像を天正6年(1578年)に現在の場所に堂を建てて安置したことに始まるそうです。

 

寛永2年(1625年)には社殿の造営が始まり、天保3年(1646年)には宮殿が寄進されたそうです。江戸時代前期から将軍のお成りがあるなど、武家から庶民まで子育て、安産の神として広く信仰され、現在でも多くの参拝者が訪れているそうです。

 

鬼子母神はもともと夜叉神の娘で、恐ろしい鬼女でしたが釈迦に諭され改心してからは安産・子育ての神として庶民の信仰を集めているようです。鬼子母神の「鬼」の文字は一角目の「ノ」がない(角がない)字になっています。

鬼子母神のみみずく

雑司ヶ谷のすすきみみずく

豊島区雑司ヶ谷鬼子母神の「すすきみみずく」は、10月中旬、鬼子母神堂を有する法明寺のお会式で授与されてきた東京を代表する郷土玩具のひとつ。かつては武蔵野の山里に生育するすすきの穂を(三分咲きのころに)刈り集めて作られ、安産や子育て、健康の守りになるとして、江戸後期のころより親しまれてきました。

今回はここまで・・・