浅草寺宝蔵門をくぐって、浅草寺東境内に向かいます。真っすぐは仲見世です・左に曲がります。
縁結びの神様として江戸の男女に人気のあった、久米平内をまつる平内堂。
首切り役人の久米平内の像が、縁結びの神様として愛されるようになったのでしょう。それは、「大勢の人に踏みつけてほしい」と平内が願って作らせたことから、「踏みつけ」が「文付け(ラブレター)」に転化し、洒落た語呂合わせになっているからなのです。私の想いがあの人に通じますように・・という江戸の人たちの洒落っ気に、つい、にんまりしてしまいます
隣は、戦災供養の平和地蔵尊。
甘味のお店も並んでいます。
江戸時代初期に神田鍋町の太田久衛門正儀により作られたと云われる二尊仏です。高さは2.36mで、蓮台を含むと4.5mで宝蔵門横に一際目を惹く双子の仏像です。
浅草寺 宝蔵門(仁王門)の東側にある藤棚。 この近辺で藤の花と言えば亀戸天神が有名ですが、浅草でも楽しむことができます。 それほど規模は大きくありませんが、4月後半~5月初旬になるとなかなか立派な花が咲きますよ。
この季節、一休みに大勢の人がおりました。
浅草神社は、東京都台東区浅草に所在する浅草寺本堂の東隣りにある神社です。通称に三社権現、三社様。5月例大祭は三社祭と云います。
三社祭は、浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われ、江戸風情を残しつつ勇壮且つ華やかな神輿渡御を主として、三日間に亘り約百八十万人の人出を数える日本を代表する祭礼の一つです。今年令和6年は5月17~19日に開催されました。
江戸風情の残る下町浅草が1年でもっとも活気付くと云われ、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています
二天門は、本堂の東に建つ朱塗りの門で、今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建された。当初は随身門といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていた。
明治17年(1884)、神仏分離によって随身門に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納された。このとき名称を随身門から二天門と改めた。この二天の像は、昭和20年(1945)に修理先で戦災にあって惜しくも焼失し、現在の持国・増長の二天像は、昭和32年(1957)に上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から拝領した像。門に向かって右が持国天、左が増長天である。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であり、国の重要文化財に指定されている。平成22年(2010)に改修を終え、創建当初の鮮やかな姿によみがえった。
馬道通りに出ました。東京スカイツリーが正面に見えます。