江戸と東京を歩く 麹町・日比谷編(3)

国土交通省の横の坂を下り、左に向かいます。左が警視庁、右手に法務省旧本館(赤れんが棟)が見えれば、桜田門です。

法務省旧本館(赤れんが棟)

法務省旧本館は、旧司法省庁舎として1895年に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築である。基本設計は建築顧問官を務めていたお雇い外国人のドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンで、実施設計と工事監理は河合浩蔵が行った。官庁集中計画は頓挫したが、旧大審院最高裁判所)庁舎とともに明治の近代公共建築を象徴する建物となった。

1923年の関東大震災では煉瓦外壁が鉄材補強されていたことでほぼ無傷で乗り切ったものの、1945年の空襲により内装の大部分と屋根を焼失した。1994年12月27日には国の重要文化財に内装を除いて指定されている。この敷地は江戸時代に米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)として使われており、その記念碑も建立されている。近代史をテーマにした映画・ドラマのロケに使用されることが多い。(Wikipediaより)

道路を渡って堀を左手方向に戻ります。

第3景『山下町日比谷外さくら田』の場所です。

第54景『外桜田弁慶堀糀町』
安政三年(1856)五月 夏の部

桜田門(外桜田門)あたりから桜田堀越しに、西側、国会議事堂方向をながめた絵です。画題にある「弁慶堀」は、現在の桜田堀であり、赤坂見附の弁慶堀ではありません。

絵の左手の赤い門と白い壁は近江彦根藩井伊家35万石の上屋敷。現在の国会前庭北側を すべて含む巨大なお屋敷であった。戦前は陸軍参謀本部の建物が建っていた(「日本水準原点」があるのもそのため)。井伊家といえば桜田門外で殺害された井伊直弼だが、万延元年(1870)3月3日の事件の4年前のスケッチで、直弼はまだ大老に就任していない、そんな時期の絵といいます。

なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。