小伝馬町牢屋敷展示館を見学する

時代劇にでてくる「小伝馬町牢屋敷」の展示館が、地下鉄小伝馬町駅の近くにあるんで、寄って来ました。日本橋小伝馬町5-2にある十思公園(じっし)の横の十思スクエア別館の1階にあります。管理人室の横を通っていかばすぐです。展示館とのイメージで詳しい説明が展示されているかと思いましたが。大きなテーブルの上に「小伝馬町牢屋敷」の模型が置かれていました。ガラスケースの為か、反射して写真が上手に撮れませんでした。

かってこの地に「座敷牢」があったという歴史を伝えています

牢屋敷の獄舎は身分によって区分けされていました。大牢と二間牢は庶民、揚屋(あがりや)はお目見以下の幕臣、大名の陪臣、僧侶、医師。牢屋敷は現在でいえば未決囚の収容所で一時的に留置しておくためのものでした。したがって取り調べをする穿鑿(せんさく)所や拷問蔵もあり、模型にもそれらの場所が明記されています。

 

先ほどの十思公園には、発掘された石垣が出土したそのままの状態で移築復元されています。そこから推測すると、牢屋敷は高さ2.4mもの高い塀で囲まれていたといいます。

公園の東側には、安政の大獄で処刑された松蔭直筆の辞世の句碑、吉田松陰終焉の地の碑が並んでいました。「身ハたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂」。この句が明治維新の原動力になったともいいます。

伝馬町牢屋敷跡の最大の見どころは、1859年にこの場所で斬首された長州藩士、吉田松陰に関する石碑です。『松陰先生終焉(しゅうえん)の地』『吉田松陰先生辞世の碑』『吉田松陰顕彰の碑』の三つが並んで建っており、真ん中の石碑には吉田松陰の辞世の句が刻まれています。

この句は吉田松陰が門下生のために遺した書『留魂録(りゅうこんろく)』の巻頭に収録されているものです。直筆の文字を拡大して彫刻されており、吉田松陰の気概が伝わってきますているものです。直筆の文字を拡大して彫刻されており、吉田松陰の気概が伝わってきます。

吉田松陰終焉之地碑

『石町時の鐘(こくちょうときのかね)』は、城下の人々に時刻を知らせるために設置された、江戸時代最初の時の鐘です。当初は江戸城内にありましたが、間もなく本石町(現在の日本橋本町・室町辺り)に移され、明治時代に廃止されるまで日本橋界隈の住民の時計係を担い続けます。

当時は鐘の音が聞こえる範囲の町から『鐘楼銭(しょうろうせん)』を集め、鐘の維持・運営にあてていたようです。また、何度か火災によって破損しており、現在の鐘は1711年に改鋳されたものです

役目を終えた『時の鐘』は、今は十思公園内に造られた鉄筋コンクリートの鐘楼の中で大切に保存されています。

中央区では、江戸以来400年の歴史や伝統を誇り、名所や旧跡、お祭り等の地域行事などさまざまな文化資源に恵まれています。それらの文化資源を発掘し、皆様に広く知っていただくため、「まちかど展示館」として開設しています。

https://www.chuoku-machikadotenjikan.jp/