深川不動堂の横には、深川公園が広がります。
この深川公園は、浅草・上野・芝・飛鳥山公園とともに東京府が初めて設置した5つの公園のうちの一つで、明治6年(1873)に開園しました。もとは富岡八幡宮や別当永代寺の境内地で、信仰を兼ねた行楽地として大変にぎわっていました。現在も、富岡八幡宮・深川不動堂に訪れる人々や区民の憩いの場としてにぎわっています。
公園内にある石造燈明台(明治31年在銘)は、日清戦争の勝利を記念して、1898年に竣工した燈明台。元々は深川不動堂の境内に建てられていた。高さは約8m。設計は佐立七次郎。関東大震災により、一部を損傷しましたが、本体は非常にしっかりした造りになっていて大震災と空襲も乗り越えて今にいたります。2007年に江東区指定有形文化財に指定され、2008年に現在地に移設されました。中は煉瓦積みになっていて、本来は螺旋階段が付けられていたと思われます。周囲には建立のために寄附した人々の名前が刻まれた石板が貼られており、市川團十郎・尾上菊五郎・市川左團次といった歌舞伎役者や魚河岸の人々など幅広い人々によって信仰されていたことがわかります。
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今年7月に発行される1万円札の顔の渋沢栄一は、板橋区、江東区、北区の3区それぞれにゆかりがあります。渋沢栄一は、近代日本の発展に尽力し、日本資本主義の父と呼ばれるています。この地、深川近辺にも、江東区永代には渋沢栄一宅跡があり、大島1丁目に化学肥料創業記念碑、清澄にはセメント工業発祥の地、深川公園内には渋沢栄一が書いた題字が陽刻されている「園女歌仙桜之碑」も残されています。