GOCHANの日記

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浅草公園周辺を歩く(3 浅草寺)

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺と云います。聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音として知られています。山号は金龍山。 元は天台宗に属していましたが、昭和25年(1950年)に独立して聖観音宗の本山となった。都内では坂東三十三観音唯一の札所(第13番)、また江戸三十三観音札所の第1番でもあります。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っています

浅草寺の創建の由来は『浅草寺縁起』等の伝承によると、以下の通りです。

飛鳥時代推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年(645年)、勝海という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。

本堂天井画には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」あります。

 

本堂は、本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、瓢簞池の敷地(2400坪)を売り払りなどで建設資金を捻出したと云う。

 

慶安元年(1648年)に五重塔として建立され、本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲では焼失した。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡伝承地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルであります。

 

浅草寺本堂の西側に立つのが鳩ポッポの歌碑。童謡『鳩ぽっぽ』は、明治33年、作詞家・東くめが浅草寺の境内で鳩と戯れてる子供たちに着想を得た歌詞で、瀧廉太郎が作曲。明治34年に『幼稚園唱歌』に収録されています。歌詞にある「お寺の屋根」は浅草寺の屋根ということに・・・。

 

雷門をくぐり、仲見世通りの商店街を抜けた先にある宝蔵門は、入母屋造の二重門である。現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。

門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられています。