今回は、本の街で有名な神保町を歩きます。
神保町は、都営地下鉄の三田線、新宿線、東京メトロ半蔵門線の駅があり、バスもあってとても便利なところです。
神田古書店街(神田神保町古書店街ともいいます)は、東京都千代田区神田神保町一帯の古書店などが密集する地区です。地名から単に神田、または神保町とも呼ばれます。世界最大の古書店街、古本の聖地ともいわれます。古書店の数は130軒、180軒、少なくとも400軒と諸説あります。
岩波書店、小学館などの大手から中小に至る出版社、印刷所、新刊を扱う一般書店の他に、明治大学、日本大学など大学、学術関係の施設もあり、これらが一体となって本の街を形作っています。
都営地下鉄新宿線、東京メトロ半蔵門線のA1出口出ると、専大前の交差点です。ここから、靖国通りを東に向かいます。
神田古書店街は、明治初期の1880年代にこの地域に相次いで創立された法律学校、明治法律学校(明治大学)、英吉利法律学校(中央大学)、日本法律学校(日本大学)、専修学校(専修大学)の学生を当て込んで、古書店も含めた法律書の書店が次々に開店したのに始まります。野田宇太郎は『東京文学散歩』で「神田の古書街は明治時代の学校出現と共に始まった」と記しています。年度替わりには上級生らが授業で使い終えた教科書を売り、新年度に下級生らが教科書を求めて古書店に買いに来る、というやり取りが文化として発展しました。
ホテルも有りました。
太平洋戦争中、神保町も米軍の空襲を受け大きな被害を受けましたが、靖国通り(東京都道302号新宿両国線の一部)沿いの古書店街は空爆による被災を免れました。これは米軍が貴重な古書を守るために古書店街の空爆を避けたという説もありますが真偽は明らかではありません。千代田区文化財事務室学芸員の長谷川怜は、靖国通りと皇居、日本橋川によって延焼が防がれたとともに、当日の風向きも焼失を防ぐことに寄与したのだろうと推測しています。戦前から発展した神田古書店街は戦後もその賑わいを継続することになりました。
古書店の多くは靖国通り沿いに在り、それら多くは通りの南側に即ち北向きに建っています。 これは日光が当たって本が傷むのを防ぐ対策のための立地です。 靖国通り開通以前のメインストリートだった神保町すずらん通り沿いの古書店もほぼ北向きに立っています。
神田古書センターのビルには、古書店のほかに、カレー屋、らくごカフェ等々があります。
神保町交差点のは、暑さ対策のミストが出ていました。
次回は、すずらん通りを歩きます。